観音寺(筑西市)概要: 施無畏山延命院観音寺は茨城県筑西市中舘に境内を構えている天台宗の寺院です。観音寺の創建は用明天皇の御代(585〜587年)に法倫独守が開山したのが始まりと伝えられています。
大同元年(806)に徳一大師が巡錫で観音寺を訪れた際には、自ら不動尊像と毘沙門天像を彫刻し本尊の脇侍として本檀左右に安置したとされます。文治5年(1189)に発生した奥州合戦の際には伊佐氏5代朝宗が戦勝祈願を行い、見事大功を挙げた事から仏意に感謝し寺領200畝(6000坪)が寄進され、伊佐氏の菩提寺として篤い庇護を受けるようになりました。
建武3年(1336)、伊佐氏の同族である伊達行朝によって中興され、境内には七堂伽藍が整備されますが、興国4年(1343)に伊佐城の落城に伴い伊佐氏は没落、伊達氏も常陸国での基盤を失い、領地のある奥州に本拠地を遷した為、観音寺は庇護者を失い衰微したと思われます。
仙台藩主伊達家は伊佐氏5代朝宗が奥州合戦の功で奥羽伊達郡(福島県伊達市・桑折町)を与えられ、2男の宗村と伊達郡に移り伊達家(後仙台藩65万石の大大名)祖となったとも言われる事から江戸時代に入ると伊佐城の跡地にあった観音寺は祖先と深い繋がりがあるとして仙台藩主伊達家から数々の寺宝が寄進されています(伊達氏の由来は諸説あり下野中村(栃木県真岡市中村城)説もある)。又、江戸時代には歴代下館藩主水谷家や石川家などからも庇護され、寺運は隆盛しました。
現在の観音寺本堂は江戸時代初期の寛永年間(1624〜1644年)に下館城主水谷勝隆が寄進したもので桁行5間(12.2m)、梁間5間(12.23m)、寄棟、瓦葺、平入、正面1間向拝付、内部は正面から2間分が外陣、残り3間分が内陣、向拝や組物、欄間などの細部に施された竜や獅子などの精巧な彫刻は見ごたえがあります。山門は切妻、本瓦葺き、三間一戸、薬医門、潜り戸付き。
観音寺の寺宝には伊達家や石川家から寄進されたものも多く文化財を多数所有しています。又、境内には下館藩最期の藩主石川総管の墓や伊佐城の城主で南朝側の武将として活躍した伊達行朝の供養塔などがありそれぞれ筑西市指定史跡に指定されています。
常陸西国三十三観音霊場第29番札所(御詠歌:とく法は おのが心の 逢善寺 自他なく結ぶ 後の世のとも・札所本尊:延命観音)。山号:施無畏山。院号:延命院。宗派:天台宗。本尊:阿弥陀如来。
観音寺の文化財
・ 観音寺本堂−寛永年間−寄棟、桟瓦葺、五間堂−筑西市指定有形文化財
・ 木造観世音菩薩立像−鎌倉−寄木造、像高102.8p−国指定重要文化財
・ 絹本著色八景図(3福)-延宝2年-仙台藩主伊達吉村奉納-茨城県指定文化財
・ 螺鈿硯箱−江戸時代−仙台藩主伊達吉村奉納−茨城県指定重要文化財
・ 伊佐城跡−平安時代〜南北朝時代−茨城県指定史跡
・ 大機院殿筆画−江戸時代−下館藩主石川総茂筆−筑西市指定有形文化財
・ 木造阿弥陀如来座像-江戸時代-寄木造、像高1.4m-筑西市指定有形文化財
・ 伊達左近中将吉村公筆軸(一対)−江戸時代−筑西市指定有形文化財
・ 吉村公筆和歌−江戸時代−縦34.0p、横49p−筑西市指定有形文化財
・ 伊達行朝廟−高さ約1mの供養塔−筑西市指定史跡
・ 下館藩主石川総管の墓−明治時代−筑西市指定史跡
・ 観音寺大欅−推定樹齢500〜600年−筑西市指定天然記念物
筑西市:神社・仏閣・再生リスト
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(下館藩主 石川総管の墓)-筑西市教育委員会
・ 現地案内板(伊達宮内大輔行朝公塔)-筑西市
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