稲田神社(笠間市)概要: 稲田神社は茨城県笠間市稲田字宮山に鎮座している神社です。稲田神社の創建は不詳ですが古くから信仰されてきた神社で延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている名神大社にも列しました。
伝承によると邑長武持の子供が近くに湧き出す清水を求めて出かけると稲田姫の化身と思われる美しい女性と出会い、武持と共にその女性の話を聞きました。すると、女性は稲田姫を名乗り、両親と夫妻を祀る社殿を建て、この清水で稲作造りをすると豊作となり、その稲を献上して欲しいと懇願し、武持は自分の子孫であると告げ姿を消しました。武持は早速、稲田姫を祀る稲田神社、夫神である素盞鳴尊を祀る八雲神社、父神である手摩乳命を祀る手摩乳神社、母神である脚摩乳命を祀る脚摩乳神社を建てたと伝えられています。
稲田神社は中世、周辺領主で笠間城の城主ある笠間氏の崇敬社として庇護された事で社運も隆盛し建長年間(1249〜1256年)には笠間氏の誘いで僧仙覚や九条光俊などが招かれ歌会が開かれています。
戦国時代に入り社殿が焼失し一時衰退しますが、江戸時代に入り笠間藩(藩庁:笠間城)の藩主井上氏が庇護し寛文8年(1668)には井上正利が社領3石を安堵して再興しています。
しかし、最盛期には程遠かったようで元禄年間(1688〜1704年)に水戸藩(藩庁:水戸城)の藩主水戸光圀が稲田神社に参拝で訪れた時、荒廃した現状に憂いたようで繁栄を祈願して四神旗(茨城県指定重要文化財)を寄進しています。明治6年(1873)に郷社、明治16年(1883)に県社に列しています。
稲田神社の社宝である四神旗は元禄11年(1698)に水戸光圀が奉納したもので、4つの方角を司る東方の青龍、西方の白虎、南方の朱雀、北方の玄武の四神獣が描かれ、何れも横72cm、縦120cm、貴重な事から昭和63年(1988)に茨城県指定文化財(歴史資料)に指定されています。
現在の稲田神社の社殿は弘化2年(1845)の火災で焼失3年後に再建されたもので拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺、平入、桁行4間、梁間2間半、正面1間向拝付、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社流造、銅板葺。祭神:奇稲田姫命。
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