古河公方館概要: 古河公方館は享徳4年(1455)享徳の乱の際足利成氏によって築かれた連郭式の城郭です。成氏は当初この地を居城としていましたが長禄元年(1457)古河城を築くとそちらに移り、公方館は古河城の出城的存在だったと考えられます。
天正18年(1590)足利義氏に嫡子がなく娘である氏姫が足利家を継ぐと、豊臣秀吉から"古河城破却"が命ぜられて公方館へ移ります。天正19年(1591)には秀吉から更に一族(小弓公方足利家)である足利国朝と婚姻を命じ正式に古河公方足利家が認められました。
寛永7年(1630)尊信の代で喜連川藩を継ぎ公方館は廃城となり跡地は時宗十念寺の寺域となりました。古河公方館は外堀に見立てられた御所沼に突き出た東西約700mの半島状に築かれ、概ね半島の突端部の主郭、2之郭、外郭の3郭で構成され、それぞれ空堀と土塁により独立性が保たれていました。
現在でも郭や空掘、土塁の一部が残り、水堀に見立てられた御所沼(戦後開拓の為埋められましたが、近年、規模を縮小して再現されています)があり、周囲は古河総合公園、古河史跡公園として整備されています。
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